御朱印帳と最初の御朱印場所に悩むこと2年
白虎隊の墓守家の方が、「御朱印を書くのを取り止めている」という記事がありました
「手際が悪い」などのクレームや、おひとりで20枚くらいを、購入して行かれる人もいたそうで、心を痛めてしまったようです。
ネットで、御朱印の画像を拝見しましたが、とても勇ましくて、白虎隊にふさわしい書体だと思いました。
御朱印を書く際には、おひとりずつ、丁寧に、会話をされながら、書いて下さっていたそうです。 私は、とても良い時間が過ごせる気がして、羨ましいな、是非行ってみたいと思いましたが、「早く(作業を)しろ」とクレームをつける方が、いらっしゃることに、驚きました。 しかも、厳かな場所で、、、信じられません。
・・・でも、そうは言いつつも、私も数年前は、そんなものだったかもしれないです。
私は、2年くらい前に、知り合いが、京都の『高山寺』に旅行に行くと言うので、大好きな鳥獣戯画の御朱印帳を、お土産に頼んでいました。
買って来てくれた知り合いに、「御朱印ないの~?」と、言ってしまい、知り合いは、「こういうのは、自分で行かないとダメなんだよ(呆れ顔)」と、教えてくれましたが、神社仏閣関係に疎い私は、「え~(けち。)」なんて、思ってしまいました。
御朱印の意味を、ネットで調べて、結果、今は、反省しています。
ずっと、この御朱印帳の最初のページには、自分で『高山寺』に行って、御朱印を貰ってくるぞい!と、意気込んでいましたが、結局、未だに行く予定がなく、空白のままになっています。
地元にも、意外と、かっこいい御朱印を書いて下さるお寺さんがあるので、そこで書いてもらおうと、思ったりもするのですが、なかなか決心がつきません。
でも、、、よくよく考えてみると、そういう事ではないのです。
かっこいい御朱印を書いてもらおう、と、思うこと自体、ヘンですよね。
御朱印とは。
御朱印とは、お参りしたあとや写経をしたあとに、証(あかし)として授けられる印のこと、だそうです。
そう考えると、クレームをつけたりする方は、参拝に来ても意味がなさそうですね。 心が、穏やかな気持ちにならなかったのでしょうか。。。
時々、運気が悪い方向に向かっている気がする時は、地元のお寺さんに参拝に行きます。 その時に、御朱印帳を持参すればいいのに、習慣がない為か、いつも忘れてしまいます。
私の御朱印帳は、そういう運命なのかもしれません。
空白のままですが、まだ、そのままでも良い気がしてきました。
自然の流れで、そうなったら、書いていただこう、と、思いました。