鈴まろの備忘録

日々感じたことなどを綴るブログです

あと何年生きられる⁉️

母から急にLINEが来たので何事かと思ったら、お墓の場所を決めたので、一度いっしょに見に来てほしいというので、行って来ました

 

日本の女性の平均寿命は80歳かな、10年もない母。

でもとても元気なので100歳までいけるんじゃないかと思っていました。

 

2年くらい前に35年勤めていた会社を定年退職、退職金なんて雀の涙程度、それでも私たち家族に迷惑かけないようにと、貯金していたみたい。

 

私といえば、50代にして子なし離婚。離婚に応じない事を心配した私は、引越し費用のみで出てきてしまったので、未だに生活がぎりぎり。

結婚している間はパートだったので、なかなか社員採用がみつからず、やっと入れたと思ったら、かなり高齢のお局様たちから仕事をもらうことが出来ず(社長の前での態度と全く違い、意地が悪く、毎日針の筵状態でした)社員だったのが契約社員に変わり(労基に言えばよかったのかな)仕事も書類のシュレッターをかける事と電話当番。地獄でした。

今は、やっと社員で採用してくれた会社に感謝しつつ、ブラックな気もしますが、母に迷惑をかけずに暮らしています。

 

母といっしょに暮すのも有りかなとも思いますが、一緒に暮らすと喧嘩になるし離れていて時々会う方が良い気もします。

 

車で30分くらいのところの共同墓地でまだ新しく、墓石には数人の名前しかありません。

自分の名字ではなく名前を彫っていたり、名前の横に自分の飼っていた犬でしょうか、彫ってあったりします。意外と自由なんだなと思いました。

母と陽あたりが良さそうだよとか、お線香の台の後ろだと見えにくいね、とか

死んだあと本人はわからないのに笑っちゃうよねといいながら、場所決めをしました。

 

母が、とりあえず、3人は入れるから、お前ももし結婚しなかったら入っていいからねと言っていました。

私は2度離婚したのですが、母はいつも「お母さん3回目はお祝い沢山あげられないよ」と言っていて、まだなにかしてくれる気なんだと、母親っていつまで経っても心配で子供は子供なんだなと思います。

親って偉大!

 

墓地を確認した後、食事に行きました。

 

お互いの愚痴を聞いて、おしゃべりがとまりません。

私と母は何故か友達みたいで、不思議な感じです。

普段もLINEで電話をしますが、1時間くらい話をしているし、内容は本当に大したことはないのですが、お互いストレス解消でいいみたいです。

 

食事をしている時に「かあさんは(母のお母さん、私の祖母のこと)自分の好きな物とか一切言わない人だったけど、一度だけ、白いさるすべりの花が大好きなんだよと教えてくれたことがあったんだよね、だからさるすべりの花を彫ろうかな」と言いました。

あとね、もうひとつ、、桜が沢山咲く場所もあるんだよね、、と語り始めました。

じゃあ、もう少し考えようよ、そこも見に行こうよと言ったら嬉しそうでした。

なんだか死んだあとのことまで考えるって大変だなと思いました。

 

時々母と会うと、私が生まれた時のこととか、どこに住んでいたとか、こんな大変なことがあったとか、まだ聞いていないことが沢山あるんだなと思います。

そう考えると、もう少し母と時間を過ごしたいなと思ったりします。

 

言葉の取り残しが沢山あるんじゃないのかなと思うと時間が10年あるとしてもとっても短く感じて切なくなってしまいました。

 

私は人との関わりを大切にしています。

今日で最後かもしれないと思ってしまい、出来るだけ誠実に対応しています。

自分も病気がちでいつ倒れるかわからないので、いつも心の準備はしています。

 

生きている時にお墓のことを考えるって、とても切ないです。

でも母は、準備してある方が落ち着くんだそうです。

そういうものなのかな。

 

明日からまた仕事が始まります。

がんばろうと思います。

 

最近田舎パンを焼くようになりました。

パンナイフが上手く切れないので、最後がいつもがっかり。

パンを焼くと自分の感情がわかります。

今日は気分が良かったので、一番上手く出来ました。

他の方から見たら下手っぴですよね

お見苦しくてすみません

 

分量

強力粉400グラム

全粒粉100グラム

塩8グラム

ドライイースト5グラム

水375グラム

今はこれがベストなので、メモしておこうっと。

母と沢山思い出が作れるようにしたいなと思う一日でした。

 

 

 

簡単ピザ生地作り(連休中2回目)

以前、パン作りにハマったことがあって

休日になるとパンを焼いていることがありました

最初はバターロールだったかな、ここだけの話、ドライイーストを生まれて初めて購入した時、無知だった私は、イースト菌が袋の中で生きてると思いこんでいて、袋をそーっと開けてドキドキしながら覗きました💓

ただの粉じゃん!と我にかえり、ドライ(乾燥)イーストだと気づきました

おバカだったなぁ🤣

今みたいにネット検索なんて出来なかったし、パン作りに興味がある人なんて身近にいなかったので情報交換が出来ませんでした

その点、今はすぐ検索出来るし便利な世の中になりましたね

 

さてさて。

ゴールデンウィークに出かける予定のない私。

ニュースでは皆さん色々なところに出かけていてとっても楽しそう!!

✈️

とりあえず本屋さんまでぶらぶらと出かけました

 

今月号の中に🍕ピザ生地🍕の作り方がのっていて

とても簡単に出来そうなので、雑誌を買ってスーパーへ材料調達に行きました

 

パン作りにハマっていた頃、最終的には有機レーズンを自分で発酵させて発酵種を作っていました

道具も揃い始めた頃、パンが完成してもすぐに食べ終わる量しか作れないし、時間もかかるので、結局、お気に入りのパン屋さんを見つけて買うようになり、パン作りは封印したのです

 

でもこの雑誌を見たら、

パン作りがしたくなりました

ほんとに簡単なんだもの!!

3日にも作ったし、今日も作りました

1枚味見しちゃったし、明日の朝食までもつかな。。

外はカリッと中はふわふわもちもちで

止まりません

やっぱり夜のワインのお供にしようかな。

クセのあるチーズでも買いに行ってきます

🍷

ついでに簡単チョコバナナケーキも作りました

水分はバナナ2本と卵だけ。カカオ72%のチョコをのせてみました

 

ゴールデンウィークは粉ものレシピで楽しみました👏

来週からは繁忙期。仕事三昧になりそうです

😂😂😂

 

最近、沖縄に出かけた方が周りに多いです

お休みがとれたら行きたいな🌺🌺🌺

 

いちごジャム作り

人混みへの恐怖

自分がコロナに感染したせいで、外出が恐怖になっています。

 

suzumaro.hatenablog.com

生活に必要なものを買いに出かけて、駐車場に沢山の車があると帰ってくるように

なってしまいました。

朝一に行っても混雑しているので、最近は大型店には行かず地元のスーパーに足を運ぶ

ようになりました。

 

2回目に感染したくないプレッシャー

さすがに2回目に感染したら、社内の雰囲気を変えてしまいそうなので、本当の本当に

気をつけています。

今でも思いますが、どうして感染してしまったのか不思議でなりません。

 

家で出来る事を考えるようになりました

会社は、さすがにリモートが出来る仕事ではないので、プライベートは出来るだけ家で

出来るストレス解消法を探すようになりました。

 

ゴールデンウィーク中もテレビで高速道路の渋滞映像をみながら恐怖におののいていました。

 

ジャム作り

 

 

 

そろそろスーパーでもメインの陳列棚から外れつつあるいちご。

ジャムにしたらもう少し楽しめそうなので、ジャムを作りました。

いつも、とっても色がキレイに仕上がる「あまおう」で作っていたのですが今回は

「とちおとめ」思ってたよりキレイな色で仕上がりました!!

 

一応レシピをメモ

いちご2パック

(へたを取った後417グラム)

ラニュー糖 180グラム

レモン汁(ポッカレモン)適量

 

 

 

 

 

 

仕事も忙しくて、ほぼ帰宅するだけの状態なのですが、コロナに感染したあとは、

自分の生活を見直すキッカケにもなっています。

「なぜ生きてるのかな」って考えるようになりました。

私は、後遺症も特になかったので、通常通りに過ごしていますが、中には症状が残って

大変な方もいらっしゃると聞いています。

早くマスクをしなくていい状態になって欲しいと願うばかりです。

 

 

 

 

コロナにかかり、もう空が眺められないんじゃないかと思いました

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様の命のトリアージ

コロナが始まった頃、私は、きっとこの世界、人間が多すぎたから神様がトリアージを始めたのではないかと本気で思っていました。

 

とうとうかかってしまいました

昨年、会社の健康診断で全て再検査になり、それ以外にも不整脈がみつかり入院。

仕事もほぼサービス残業で帰りは遅く、食事の支度より眠く夕飯も食べたり食べなかったりの毎日を過ごしていました。

そう言えば、血液も再検査。

白血球がかなり低いと指摘されていました。

免疫が低かったのも原因かもしれません。

 

発熱の前日

ニュースでもネットでも言っていてけれど、最初は、のどの違和感でした。

夕方に、のどがかすれるというか、いがいが、ざらざらしている感じがしました。

帰宅後、体温を測ってみましたが、36.6度で平熱。

今日は食事もきちんと摂りました。

発熱した当日

ところが、翌朝6時頃目を覚ますと一気に寒気がきて、ブルブルッとしたと思ったら、一気に体温が上昇した気がしました。

体温を測ると39.6度。朝っぱらから、かなりの高熱です。

「やばい、やばいかもしれない。。。」

とりあえず、コロナ関連の情報をネットで収集、やっぱりコロナかなと確信し始めました。

7時になり、上司に電話、とりあえずお休みしますと連絡。

 

そのあとはこんな感じ

① かかりつけ医はいなかったので、コロナ相談センターへ連絡

② 相談員さんに自宅の住所をお伝えすると、3件、住所周辺で対応してくれる病院を紹介して下さいました。3件メモを取るのも苦しくて大変でした。

1件目に連絡。休診日でもないのに何度かけてもつながらない。

2件目に連絡したところは、受付の方がとても親切で、逆に1件目がつながらなくて良かったと思いました。

でも車で10分くらい、39度過ぎてるけど、運転大丈夫かなと思いながら、同居している人もいなかったので、何とか運転して行きました。

そこは自家用車で行かないと対応はして下さらないところで、検査も、問診して薬の処方も会計も車で済ませられました。

3件目は、車で20~30分かかるところだったので、2件目で対応してもらえて良かったです。

 

まずは、PCR検査。

看護師さんが、検査キットを持ってきて下さる。

唾液をメモリのところまで入れて下さい。終わったら病院に連絡して下さい。取りにきますからね、と言い残し戻っていきました。

なんだろう、心細い。

とりあえず唾液、出すか。。。

唾液を採取して提出。

ボーっとしている割に、こんなところにも「いらすとやさん」おるで、と笑いながら、唾液出してました。

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私の他にも、3、4台来ていたので、いよいよ身近に迫ってきているんだなと実感。

 

院長先生が来て、問診。

「解熱剤とかある?」

ありません。

「じゃあ、処方しますね。あとは大丈夫?」

大丈夫です。(今思うと、ここで咳止めとか喉の薬を処方してもらえば良かったかも)

「検査の結果は、明日の午前中か夕方になっちゃうかもしれません。

濃厚接触した人とかいる?」

会社の人とお昼休みに一緒にお弁当食べました。

「じゃあ、検査してもらうように伝えて下さい。

あとは、こちらで保健所には連絡しますので、連絡が来るまで待っていて下さい。

保健所がニュースでご存知かと思いますが、逼迫していますので、すぐには連絡がこないかもしれませんが、確実に連絡しておきますから、心配しないで下さいね。」と言われました。

 

会計は、コロナ関連は無料。問診と解熱剤分は支払。

③何とか帰宅。

④翌日の午前中に院長先生から連絡あり。

「陽性反応がありましたので、本日より10日間自宅療養をして下さい」

ああっ、、、

とうとうきたか。すぐ上司に連絡。

 

ここからはもう、熱で苦しい時間の始まり・・・

とりあえずもう何も考えられず、とにかく横になる準備、パジャマにやっと着替えてとりあえず、会社に連絡、そうそう親にも連絡。

常備していて良かったのは、熱さまシート、これは良かったです。

 

 

あとは、不整脈もわかったところだったので、血圧計と体温計もあったので良かった。

食糧は、自炊派なので材料はあったけれど、結局動けないので無駄になってしまった。

ほぼ液体でないと食事を摂ることはできなかったので、牛乳・野菜ジュース・茶わん蒸し・ヨーグルトがあったので、数日間過ごせました。

2日後には2キロ体重が減っていました。

 

体温の上下が激しかった

39度過ぎたと思うと、5時間後に37度。下がったぁ~って喜んでいたら、夜中にまた39度でたり、上下が激しくて、頭がついていけないのか頭痛がひどかったです。

 

夕方になっても保健所から連絡来ず。

本当に心細くて、見放された感が半端なかった。

死んじゃうんじゃないかと思って、

普段、ポストに入っている「家族葬の案内チラシ」が捨てずにあったので、とりあえず最低金額10万円とあったから、そのチラシに10万円はさんで置いておきました。

ほんとに切ないし。

志村けんさん思い出しちゃうし、どうして私なんだろうと思っていました。

 

夜9時ごろ保健所より連絡ありました

保健所からやっと連絡が来ました。

「すぐに対応出来なくて申し訳ありません、体調大丈夫でしょうか?」と連絡が来ました。連絡を下さっている保健所の方は、声がかすれていました。

疲れているご様子が、話し方でわかります。

 

保健所の方からは、

①2日前からの行動歴を詳しく聞かれました。

「感染源は、仕事で行った郵便局でしょうね。」

もう、どんなに気を付けていていてもなるときはなるって感じです。

②「食料は送ることも出来ますがどうしますか?」と聞かれたので、送って下さいとお願いしました。食糧代は無料なんだそうです。税金納めてて良かったぁ~

③「パルスオキシメーターはどうしますか?」借りたいです!!

無料で貸出しているので、借りることにしました。

 

私の場合、39度前後の熱は5日間くらい続きました。

解熱剤は、本当に良く効いて毎回汗びっしょりで、パジャマさえビショビショになるくらいすごかったです。

 

ずっと、今回は死ぬんじゃないかなと真剣に思いました。

 

でも6日目になると熱が全くでなくなり、今度は大量の鼻水、新しいティッシュボックスが2日でひと箱終わっていて2箱きれいに使い切りました。

熱が下がれば本当に楽になります。

 

毎日、保健所か、県の健康管理センターから健康状態の確認の連絡が来ていました。

心細かった私は、この電話だけが励ましの電話で、とっても嬉しかった。

 

熱が37、5度前後になった頃、食料が到着。

置き配だったけど、絶対にわかるやんって感じでした。

だって有難いことに5日間分くらいの食料で大量だったから。

でも、本当に熱が出て疲れ切っているときに簡単調理のものは、本当に有難かったです。

 

ようやく10日間の自宅療養終了~~~っ!!!

保健所の方から「今日で自宅療養が終了です」と言われるとほんとに嬉しかった。

何か聞いておきたい事はありますか?と言われたので、

10日間の療養が終ると体内の菌は死滅しているのでしょうか?

と聞いてみました。

死滅はしていなくて、排菌量(人にうつす菌の量)が減っているということなので、PCR検査をするともしかしたら陽性反応が出るかもしれませんとおっしゃっていました。

一応自宅療養終了の翌日、検査キットで検査してみたら陰性でした。

とりあえず安心しました。

 

それから後日「就業制限通知書」というのが来るそうで、これがあると生命保険で使えるようです。(保険がおりる可能性があります)

 

 

その後、咳はまだ出ますが、仕事復帰も出来たし、大丈夫そうです。

2回目にかかったらどうしようと、恐怖な毎日です。

 

熱が下がった時に見てた旅行のサイト

ほんとに気持ちが和みました

 

 

 

あと熱が下がった時に購入したもの!本当に美味しかった!!! 

 

 

旬な果物

梅雨の時期のお楽しみ

毎年、この時期になるとジャム作りをします
昨年は、不作で量が少なく争奪戦で負けてしまってジャム作りができませんでしたが、今年は注文できました!!
あんず 1キロ

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そしてそして

サワーチェリー 2キロ

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嬉しくて、頼みすぎたかな、、、

あんずは、ジャムとブランデー漬

サワーチェリーは、ジャムとキルシュに漬けてみました

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お酒は3か月後くらいから飲み頃みたいで今から楽しみです

ジャムは早速、ヨーグルトに入れたり楽しんでいます

サワーチェリーはアントシアンが豊富だそうで目に良いのかな、

でも今回頼み過ぎたかも

タネ取りがタイヘンでした

でも、タネ取りの器具を買っておいたから良かったです

最近はお菓子作りもしてないけど、

チェリーを使ったお菓子を作ってみようかなと

レシピを検索中です


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安くて効果のある美容グッズほしい

懐かしいくらいご無沙汰でした 

久々に日記が書きたくなりました。

 たぶん、ブログをお休みしてしまったのは、ちょうど入った会社のブラックさに負け1か月で辞めてしまったこと、そしてコロナが始まって、マスクが手持ち10枚無い頃です。

 この連休、私以外の方々は、何を楽しみに過ごしているのでしょうか?

私は、昨日は近所のイオンに出掛けていました。

本当は行きたくないけれど、いよいよ下着がくたびれてヨレヨレでどうしようもなくなったからです。

 10時の開店と同時に一目散に衣類の売り場に直行、必要なものを購入し、帰宅しました。

最近は、混雑している場所を見ると、ちょっと恐怖を感じてしまいます。

 

もっぱらネット頼り

 そのせいでしょうか、最近はアマゾンに頼り切りです。

下着はさすがにサイズや質感もあるので、買いに行ってしまいましたが。

 ほとんど、会社とスーパーの往復しか出掛けることもなくなったので、家で何かできること、、、美容に役立ちそうな安いグッズを探してみようと思いました。

 

エステティックで、9,000円くらいで売っていたので、安いのがないかと探していたらありました。

足洗いマット!!!

ボディーソープの泡を沢山マットにのせて、指先をグーパーグーパーしたりして洗います。

少しツボ押しの効果もあるのか、これをした翌日は足がポカポカしています。

冷え性にもいいのかしら??

 かかとも、夏に履くサンダルで後ろから見える部分が、恥ずかしくないように今から磨いています。

 昔、銀座で信号待ちをしていて、とっても美人さんな人がいっしょに待っていて、私は綺麗な女性だなと、ちょっと眺めていたんです。

で、素敵なお洋服に素敵なサンダル 、、、かかとが真っ白でカサカサ具合がお気の毒な感じだったのです。

なんだかもったいないし、ショックでした。

あれ以来、とっても気を付けるようになりました。

 これを使って3週間くらい経ちますが、かかとが柔らかくなってきたと思います。

あと少し、頑張ろうって気になります。

 

 また、安くて効果のありそうなグッズを探そうっと。

少しでも、コロナで自粛している間に差をつけなくっちゃ(誰に??)

 

震災遺構ツアーで思ったこと

以前、私が担当していた先の、社長さんが、宮城県へ、震災のあと毎年欠かさず、応援も兼ねて訪ねていると聞きました。

寄付などもしていて、いつもお会いすると「風化させちゃいけないんだよ」と真剣におっしゃっていました。

「そうですよね~」なんて、他人事みたいに言っていた私でしたが、実際に訪れてみると、心に突き刺さるくらい、今でも思い出すと、胸が締め付けられて、涙ぐんでしまいます。

 

最近、震災などのニュースが多くて、ふと、自分はいつ死んでしまうかわからないと、思うようになりました。

災害にいつ自分が遭遇するか、全くないとも言えない状況になっていませんか。

 

 

昨年の秋、初めて、震災遺構ツアーというものに行って来ました。

なぜ急にブログに残したくなったのか、、、

自分の携帯に、当時撮った写真が、消せずに残っていたので、ここに書くことにしました。

 

訪れたのは、宮城県。  

震災前は、豊かな自然があり、海産類も豊富で、終の棲家として候補に挙げたいくらいのイメージでしたが、ほとんど海岸沿いは、平野のようで、そして防波堤を作っているところばかりな印象を受けました。

昔の風景が、ない。

悲しい気持ちになりました。

 

 

仙台市荒浜小学校

 

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右側に津波の到達位置が表示してある看板があります

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津波の到達した位置が、私は想像だけですが、それでも、恐ろしさを感じます。

 

当時の状況の映像や、震災前のジオラマなど、校舎内で見ることができます。

 

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当時は、民家が沢山あったそうです。

 

小学校の屋上から撮影

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仮設事務所とトラック、重機くらいしか見えません。

当日は、お天気が良くて景色はとっても良かったのですが、この状況とのコントラストが何とも言えなく、心苦しくなってしまいました。

 

 

バスで移動中、普通の会社などにも、津波の到達位置の看板がありました

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こんな標識も見かけました

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石巻市立大川小学校

 

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山に囲まれたところで、被害があるの?と、思いました。 

ここは、特に児童が犠牲になっています。 

 

 

下の写真の右側の白い小さなビニールハウスがわかりますか。

その向こう側から津波の余波で、水が上がってきたそうです。

ここでは、わかりませんが、左に橋があって、そこに流れてきた大木などが、引っ掛かり、水が堰き止められて、ここの小学校に被害が集中してしまったそうです。

 

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生死を分けた丘です。

避難場所の指定されていた場所は、もっと低い位置にあって、そこに避難した児童は犠牲になってしまったとのこと。

 

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その丘まで登り、景色を撮影しました。

当時、震災に遭った子供たちは、どんな風景をみたのでしょう。

 

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報道陣の方々も、定期的に訪れているそうです

何だか安心しました

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改めて感じたのは、

何年も経っていますが、まだまだ復興の途中で、完全に終わっていない、風化させてはいけないということでした。

 

人間て、自然の中では、無力ですね。

自然の中の一部なんですよね、ヒトって。

 

これからは、災害に遭った地域の復興のためにも、協力したいと強く思うのでした。

 

 

そしてそして。

定番の観光スポットにも行きました!

大好きな、笹かま。 

 

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自分で焼いて食べる、笹かま。

いただきもので、食べる時より、その場で焼く笹かまの方が、断然美味しいと感じました!!

みんなでワイワイと観光しているから、そんな雰囲気もあり、美味しく感じたのかな、

 

 

でも、やっぱり美味しい!!

 

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今回は、宮城県名産品を使った、美味しい料理を沢山食べたのに、全く写真を撮っていませんでした。

2口ぐらい頬張ったあと、

「撮るの、忘れた!」の連続。。。

 

本当に美味しいものが沢山!

 

撮るのを忘れてしまうくらい、美味しかった!

 

また行きたいです。

震災遺構ツアーも、少し心が重くなってしまうかもしれませんが、是非一度は、行ってみるべきではないかな、と、思いました。