震災遺構ツアーで思ったこと
以前、私が担当していた先の、社長さんが、宮城県へ、震災のあと毎年欠かさず、応援も兼ねて訪ねていると聞きました。
寄付などもしていて、いつもお会いすると「風化させちゃいけないんだよ」と真剣におっしゃっていました。
「そうですよね~」なんて、他人事みたいに言っていた私でしたが、実際に訪れてみると、心に突き刺さるくらい、今でも思い出すと、胸が締め付けられて、涙ぐんでしまいます。
最近、震災などのニュースが多くて、ふと、自分はいつ死んでしまうかわからないと、思うようになりました。
災害にいつ自分が遭遇するか、全くないとも言えない状況になっていませんか。
昨年の秋、初めて、震災遺構ツアーというものに行って来ました。
なぜ急にブログに残したくなったのか、、、
自分の携帯に、当時撮った写真が、消せずに残っていたので、ここに書くことにしました。
訪れたのは、宮城県。
震災前は、豊かな自然があり、海産類も豊富で、終の棲家として候補に挙げたいくらいのイメージでしたが、ほとんど海岸沿いは、平野のようで、そして防波堤を作っているところばかりな印象を受けました。
昔の風景が、ない。
悲しい気持ちになりました。
仙台市荒浜小学校
右側に津波の到達位置が表示してある看板があります
津波の到達した位置が、私は想像だけですが、それでも、恐ろしさを感じます。
当時の状況の映像や、震災前のジオラマなど、校舎内で見ることができます。
当時は、民家が沢山あったそうです。
小学校の屋上から撮影
仮設事務所とトラック、重機くらいしか見えません。
当日は、お天気が良くて景色はとっても良かったのですが、この状況とのコントラストが何とも言えなく、心苦しくなってしまいました。
バスで移動中、普通の会社などにも、津波の到達位置の看板がありました
こんな標識も見かけました
石巻市立大川小学校
山に囲まれたところで、被害があるの?と、思いました。
ここは、特に児童が犠牲になっています。
下の写真の右側の白い小さなビニールハウスがわかりますか。
その向こう側から津波の余波で、水が上がってきたそうです。
ここでは、わかりませんが、左に橋があって、そこに流れてきた大木などが、引っ掛かり、水が堰き止められて、ここの小学校に被害が集中してしまったそうです。
生死を分けた丘です。
避難場所の指定されていた場所は、もっと低い位置にあって、そこに避難した児童は犠牲になってしまったとのこと。
その丘まで登り、景色を撮影しました。
当時、震災に遭った子供たちは、どんな風景をみたのでしょう。
報道陣の方々も、定期的に訪れているそうです
何だか安心しました
改めて感じたのは、
何年も経っていますが、まだまだ復興の途中で、完全に終わっていない、風化させてはいけないということでした。
人間て、自然の中では、無力ですね。
自然の中の一部なんですよね、ヒトって。
これからは、災害に遭った地域の復興のためにも、協力したいと強く思うのでした。
そしてそして。
定番の観光スポットにも行きました!
大好きな、笹かま。
自分で焼いて食べる、笹かま。
いただきもので、食べる時より、その場で焼く笹かまの方が、断然美味しいと感じました!!
みんなでワイワイと観光しているから、そんな雰囲気もあり、美味しく感じたのかな、
でも、やっぱり美味しい!!
今回は、宮城県名産品を使った、美味しい料理を沢山食べたのに、全く写真を撮っていませんでした。
2口ぐらい頬張ったあと、
「撮るの、忘れた!」の連続。。。
本当に美味しいものが沢山!
撮るのを忘れてしまうくらい、美味しかった!
また行きたいです。
震災遺構ツアーも、少し心が重くなってしまうかもしれませんが、是非一度は、行ってみるべきではないかな、と、思いました。